癸卯年 甲子月 乙巳日(2023年12月13日)
同じ言葉でも、説明されても意味が分からないし聞き流してしまう場合と、イメージしやすくてスッと入ってくる場合と二通りありますよね。
例えば、今朝なんとなく「胆力」という言葉が引っ掛かり言葉の意味を調べてみました。
「胆力」の読み方は「たんりょく」で、意味は「物事に恐れたり尻ごみしたりしない精神力」もしくは「ものに動じない気力」です。
Wikiより
この激動の時代、これほど必要な力があるのかと意味を改めて読み返すと笑ってしまうほどでしたが、今日の本題はそこではなく「言葉」というものが持つ威力についてです。
現代人は、分からないことがあればすぐにネットで調べます。
そこに答えが書いてありますし、現に私自身もこうして便利に活用をしています。
しかしネットは便利なのですが、時として「分かったつもりになる」という落とし穴があります。
現に「胆力」という言葉ひとつとっても、ものに動じない気力のことね、ふむふむ。
人に伝える時も、物事にオロオロしたり飲み込まれない力です、で、聞いた方もなるほど!
なんとなく「胆力」という言葉が分かった気にはなります。
しかしなんとなく言葉が上滑りするような、恋に恋してるような、リアルさとか説得力に欠けるんですよね。
なぜこう書いてあるんだろう?この言葉の真意はどこに?それを考えたり想像したり、そして実際に言葉のイメージ通りにアクションしてみるとか。
そうして初めてその言葉の持つ意味や本質が分かったりするのではないでしょうか。
そして、自身の力というものは、単に答えをインスタント的に求めているだけでは衰えていく一方だなとも思うのです。
例えば、胆力というもの知るために意識してアクションしてみた、或いはそんなつもりはなくても体感として偶然知る。こちらの方が断然わかりみが深く、本当の意味で「知る」ことに繋がると思うのです。
身近な例ですが、私はここ半年、葵さんのインスタ配信を頼りにしながら筋肉トレーニングを習慣にしています。
子供の頃から虚弱体質なので、運動は本当に苦手で苦痛でたまらないです。自宅でやっているだけですから、手を抜くこともしばしば(笑)
それでも続けていることに必ず意義があるはずだと、日々取り組んでいます。
身体の変化は知らず知らずのうちに、腹筋がしっかり付いてきたのを感じ、歩く時の腰痛が減ったり疲れにくくなったなどの効果も出てきました。
これはもちろんうれしい効果なのですが、意外だったのが、想像以上に「気力」「持続力」が身に付いていたことです。
注意力散漫でとても疲れやすい私が、以前よりもそこまでへとへとになっていないのです。
あれ?これどういうことなのかしら?と思うほどです。
降ってわいた大掛かりな仕事、締め切りが明日、などなどイレギュラーが起こっても動じにくくなっている自分に驚いています。
ここで胆力の言葉の意味「ものに動じない気力」
あれ、胆力って腹筋のこと?それとも胆力を養うには腹筋が必要なのか?とか、私だけの腑に落ちるワードが完成するわけです(笑)
「胆力ってものに動じない力のことだよ」よりも
「胆力って結局のところ腹筋力のことだと自分は思うんだよね」
という方が、誰かに伝える時になんとなく威力があって、分かる気がするーといったイメージを相手にもたらしやすい(笑)えーなんでそう思うの??とか会話も楽しい。
とにかく色々とイメージ膨らみやすいんです。
イメージが膨らむと、言葉というのは本当に威力を帯びてきます。
何が正解不正解は、ほとんどこの世で意味をなさないことの方が多くて。
自分はこうだと思う!と納得することの方がはるかに生きることには役立ちます。
人生は不思議がいっぱい。これってどうしてこうなるんだろう?あの人がああいう風になるのはなぜ?ああ、意味が分からない・・・
そんなとき。分からないままでも一旦忘れても大丈夫という力。分からないままに置いておこうという力。これも胆力の一種かと。今どきで言うと、cloudみたいな活用でしょうか。
私は算命学という難解な学問の深みにはまってしまった人間なので、そのあたりの胆力は案外養われたかもしれません。分からないなー、一旦棚上げという放置力(笑)
そうやって生きているうちに、何日かあるいは何年か経って、あの時の意味はこういうことかあと急に思い出したり納得したりするわけです。
そうして得た答えだったり確信だったりは、忘れずに奥深くに染み込むのを感じます。
体感と経験、深い分かりみに近づくには不可欠なのかもしれません。
やはり、自分の脳内cloudと腹筋をとことん信用してチャレンジして生きることがベストのようですね(笑)