本当に2024年は何という年なのでしょうか。
能登大地震から始まって三日連続の災害、そんな中で久しぶりの大谷選手の結婚の明るいニュースに沸いた矢先、水原一平さんの違法賭博と借金事件。
一夜にして青天の霹靂でした。
陰と陽。光と闇。純と濁。大きなスポットライトの裏側には深くて濃い影の存在があるのがこの世。
それらが全て白日の元に晒されてしまう現代の社会。
改めて私たちはどう生きるべきか、考えさせられる出来事でした。
私も日本に住んでいる1国民ですから、この国が現在包まれている空気感は誰よりも知っています。
今回の水原さんが引き起こした事件は、日本国中の人がショックを受けています。
特に大谷選手のファンではなくても、がっかりさせられた、特に自分達の生活には関係が無い人なのにショックが拭えない、これから先の処遇が気になって仕方ない。
かくいう私自身も、大谷選手や水原さんの鑑定動画を出したことがある身ですから、残念極まりない思いです。
そしてこの、「自分ごとのように感じるショックと怒り」こそが現代人がハマりやすいトラップでは無いかということを改めて痛感させられたのです。
ひと昔前でしたら、有名な野球選手や芸能人のスキャンダルは、雲の上の世界での出来事でした。
びっくりしたり興味津々ではあっても、別世界での出来事だとすんなり思えたものです。
そういった一種の線引きが容易だったはずです。
しかし、SNSの普及で、知らない世界までもが身近に感じられるようになりました。個人が発信力を持つことで、あることないことでも簡単に情報を操作できてしまいます。
まさに情報の氾濫で、手がつけられない状況です。
そしてひとたび炎上してしまうと、もう命取りです。
一度ついたイメージを払拭することは、ほぼ不可能となってしまいます。
大谷選手も松本人志さんも、やったかやってないかという事実よりも。
もう活動することができないかもしれないほどのダメージを受けました。
武器やミサイルが無くても、人1人の人生を抹消してしまうことは簡単なこと。誹謗中傷に苦しんで命を絶つ方も少なくありません。
私たちが縋っている情報とは、このような恐ろしい一面を覗かせます。
お金にガツガツしない
ストイックなまでの自律した生活リズム
未来の子供達へのお手本となる振る舞い
自らゴミを拾い周囲への感謝の念。
野球(仕事)に対する真摯な姿勢
主役を支える脇役やチームスタッフの犠牲的精神の美しさ
これらは日本の国民性の根っこにある特徴でもあり、美学であると信じられてきた特徴でもあり。
大谷&水原コンビは、その美学の正しさを体現してくれているような存在でした。
その精神の純粋性に、世界中が賞賛をして持ち上げました。
そうだ私たちは間違っていない。
閉塞感漂う日本の中で、大谷選手の活躍は希望の星でしたし、輝いている彼に乗っかっていい夢を見たい、そんな隠れた願望が日本人にはあったはずです。
しかし今回の事件は、見事にこの純粋性が裏目に出ました。
お金に無頓着すぎたからこそ、起きたこの事件。
まさに、信じられないようなありえないことが起きたわけです。
子供すぎて罪になる。そんな馬鹿なと、誰もが目を覆いたくなる事件です。
私たち日本人が長く美徳として信じてきたものはもう間違いなのかもしれない。。。
日本人のアインデンティティをざわつかせる事件であると思います。
戦争に負けて全てを失った後に、先人達が心血注いで発展させてきた日本国は、今や飽食時代を超えて、何の信念も持たない覇気のない間抜けなお人好しの国に変わり果ててしまったこと。
お金をばら撒きながらも、世界から全く尊敬も相手にもされていない小国娯楽に骨抜きにされてしまった国、私たちは本当は虐げられてきたのでは?
そんな現実を、否応なしに私たちに突きつけられている出来事に思えました。
認めたくない現実を認めざるを得ない。
今回の事件の本当の傷は、この部分にあると私は感じています。
私が昔お世話になった女社長さんは、このように言っておられました。
「大人である以上、幼いとか世間知らずとか未熟であることは罪なことです」と。
当時何となく理解したこの言葉が、今とても痛く沁みます。
純だけでも生きられない、濁だけでも生きられない
一人一人が自分で立つ
強いヒーローが私たちを気持ち良くしてくれる。
笑わせてくれる、楽しませてくれる。
これはもう幻想であること。
今私たち日本人が自分の人生をどう生きるか?本気で考えて取り組めと。
私たち自身が、自分を幸せにしていかなければならない。
そう突きつけられているメッセージだと思いました。